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明治大学付属 中野高校

明治大学付属中野高校
強豪相撲部で名高い明大付属中野高校


明大門


▲桜咲く春、JR東中野駅にほど近い同校を訪ねてみま した。
 昭和四年設立の名門校。 校訓は「質実剛毅」。

中央線


▲春、東中野の駅に降り立つと、総武線の線路沿いに並んだ桜に目を奪われます。
旧地名「桜山」にちなんで町会の皆さんが植え、
大切に育ててきたもので、土手に咲き競う菜の花と共に、
道行く人々を楽しませてくれます。
明治大学付属中野高校へはこの見事な桜並木の下を歩いて五分ほど。
平成の名横綱と謳われた貴乃花、その兄・若乃花、
さらには二度目の優勝を果たした栃東の母校として名高い名門校です。
創立は昭和四年。「質実剛毅・共同自治」を校訓に、
「世のため、人のため」に有為な人材を育成することを目的とし、
旧制中野中学校として設立されました。
昭和二十年には東京大空襲で校舎を焼失しますが、
その後見事復興し、二十四年には明大の付属となりました。
校風は創立時の精神そのままに、男子校らしい「質実剛毅」な雰囲気です。
   
若・貴や栃東も燃える、
青春の相撲部。 

相撲絵ss
    
明大中野と言えば、まず思い浮かぶのは相撲部です。
監督は厳しい指導で知られる武井先生。
若・貴や栃東も指導を仰ぎ、強くなりました。
中でも栃東関は合宿などに参加して後輩と共に汗を流すこともあるとか。
玉ノ井部屋が改築中だった一昨年の夏は出稽古にも来ていたそうです。

どすこいイラストs

今、乗りに乗っている力士だけに今後の活躍が楽しみです。
もちろん卒業生ばかりでなく、現役部員の活躍も見逃せません
中央・総武線東中野付近を通過するときに、車窓から桜がチラッとみえますよ。

ダイワヘルス研究所は、東中野駅前に事務所を構え、古きよき時代を目指し、正直でまじめな通信販売活動を続けています。
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南こうせつの『神田川』はここが舞台

南こうせつの『神田川』はここが舞台。
川風に誘われ、桜並木の遊歩道。

神田川

▲「神田川」向こうには新宿高層ビルが見えます。


 地域住民の方々と親身になってお付き合いを頂いてきた東中野。
そのわが町の名所めぐりをしたいと思います。
今回は、4階にある当社の窓からいつも眺めている神田川です。
「♪あなたはもう忘れたかしら赤い手拭マフラーにして…」と唄われた、
名曲『神田川』は、全長25・5キロメートル。
4月には桜の木が川面すれすれに枝葉を伸ばし、風が吹くたびに
薄桃色の花びらが川幅一杯に広がり、
美しい絵模様を描いています。
いつもは散歩道として利用され、お上品な年配のご夫人が
プードルを連れて歩く姿も見受けます。
これからの時期はツツジやくちなしの花が見られ、
夏は夕涼みに訪れる地元の方もいらっしゃいますよ。
  
神田川歌碑


▲大久保通り近くにある「神田川」の歌碑。この辺が歌詞の舞台となったといわれています。歌詞の舞台となったといわれています。

ダイワヘルス研究所は、東中野駅前に事務所を構え、古きよき時代を目指し、正直でまじめな通信販売活動を続けています。

氷川神社と梅若能楽堂

氷川神社2.jpg

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ダイワヘルス研究所は、東中野駅前に事務所を構え、古きよき時代を目指し、正直でまじめな通信販売活動を続けています。

宝仙寺

寺の多い町としても知られる中野。中でも歴史ある名刹をご紹介します。 宝泉寺題字
 東中野から山手通りを中野坂上方面に進み、 青梅街道を右折してしばらく行くと、 真言宗・宝仙寺があります。山門には阿吽の仁王が立ち、 本堂には鎌倉期に作られた五大明王像が安置されているこの寺院、 創建は平安後期の寛治年間(一〇八七~九四)で、 奥州・後三年の役を平定して凱旋中だった源義家が、 陣中に護持していた不動明王像を安置するため建立したとされています。 宝泉寺ok
▲飛鳥様式で建てられた純木造建築の三重の塔。最初の塔は空襲で消失。 現在あるのは戦後再建されたもの。 江戸時代には寛永寺の三重の塔や浅草寺の五重の塔と並んで庶民に大いに親しまれた。 江戸時代には庶民に大いに親しまれ、 歴代将軍の尊崇もあつく、御鷹狩りの休憩所としても 有名でした。八代将軍・吉宗の時代には、 将軍に献上されていた象が飼われていたと言われ、 その骨も安置されていましたが空襲で消失。 鎌倉期から現代まで、長い歴史のさまざまな風雪を感じさせる、 古いお寺です。 山門
▲力強い阿吽の仁王像が左右に建ち並ぶ宝仙寺の山門。 仁王は金剛力士ともいい、仏法を守護する者で、寺の入口にある山門に 配することによって寺を守護する役目を有する。 ダイワヘルス研究所は、東中野駅前に事務所を構え、正直でまじめな通信販売活動を続けています。

今も現役のアートフラワーの講師として活躍している飯田深雪先生のご近所を散策しました。

飯田美雪さん教室

▲閑静なたたずまいの中にヨーロッパ調の庭園が見えるおしゃれな教室です。

飯田さん作品


 ▲本物と見まがうくらいきれいなアートフラワーの作品。


緑豊かな落ちついた街並みと
花に囲まれたスタジオ。



 東中野でも、小滝台といわれるこの周辺の住宅地は、かつてはお屋敷町として分譲が行われていたほど閑静な場所。大正時代には高台から眺める眺望も素晴らしく、夕陽に輝く東京市の市街地が一望できたそうです。しかし、昭和20年に折からの大空襲で、この辺りも例外なく焼夷弾が集中的に落とされ、786戸の家々が全焼してしまったそうです。そんな東中野も戦後はみごとに復興され、アートフラワーの創始者であり、現在も月に3回、教壇に立っている飯田深雪先生の教室は、お瀟洒なつくりの、いかにも美しさを追求した建物として、このお屋敷町に佇んでいます。
 

href="http://blog-imgs-27.fc2.com/h/i/g/higanakaburari/20070209193210.gif" target="_blank">飯田美雪さん


 アートフラワーの創始者であり、またフランス料理をはじめとする料理の研究家として、若い頃から活躍。国際感覚が豊かで、国際マナーなども教えている。


ダイワヘルス研究所は、東中野駅前に事務所を構え、正直でまじめな通信販売活動を続けています。

東中野駅

ぶらりタイトル


激動の時代を乗り越えて
100歳になりました。


 私の事務所は、JR東中野駅・東口駅前にあります。雨が降っても濡れないくらいの距離です。…そこまでは言い過ぎでしょうか。いつも使っている東中野駅の今昔物語を調べてみました。
 まず、中央線のことから。明治8年に甲武鉄道によって、立川~八王子間が開通されました。車両は蒸気機関車で、中野に停車していました。その後、明治37年に電車が登場し、地元から駅の新設を求める声が起き明治39年に今の前身である「柏木駅」が誕生。1両編成がコトコト走っていました。
 ちなみに東京駅が開業したのは、大正3年。山手線が一周完成したのは大正14年というから、わが町の駅は歴史があるんですね。えっへん。

東中野駅古い写真

▲甲武鉄道は、鉄道国有化に基づき「官鉄」となり、鉄道院が発足し呼称は「院鉄」、鉄道省となり「省線」、以後「国電」「JR」と変わっていきます。関東大震災の後、中心地から東京の中野地区へ移住する人がとても多かったそうです。


駅舎を支え続ける古レール

 昭和2年に駅舎が完成。その屋根を支えている一部は、外国のレール。リサイクルして建てられたそうです。さっそく駅に行ってホームの上の屋根をよく見るとドイツとかベルギー、アメリカの文字が見えます。昭和2年の古レールを使った骨組みが現在でも使われているって、ビックリ!
 当時は駅前に人力車の姿もあったとか。関東大震災や大東亜戦争の戦禍、激動の100年を経て今に至っているんですね。歴史を知るといつも利用している駅もなんだかいとおしく思えます。
※東中野駅の駅員さん、東中野地域センター、地元の岸恒夫さん、東中野元気塾の皆様のご協力を頂きました。ありがとうございました。

こちら神田川タイトル


こちら東京・神田川。

♪あなたは、もう忘れたかしら~の神田川です。

 東中野で事務所を構えて、もう15年以上になります。この町で働き、暮らし、やさしい人達との出逢いがありました。オフィス街でなく住宅街ですので、あまり知られていませんが歴史もあって暮らしやすい、良い町です。私たちは、そんな東中野が大好き。だからチョット紹介させてください。


ダイワヘルス研究所は、東中野駅前に事務所を構え、正直でまじめな通信販売活動を続けています。

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